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山奥にある大観音
ポツンと大観音。あまりにも、ポツン

福岡の山中。なんかもう山中すぎて通行止めになってるような道路の途中に、ドカンと観音様が立ってらっしゃるとの話を聞いて行ってきました。そしたら本当にいらっしゃいました。

ふーんと眺めておしまいなんですが、台座に刻まれた謎の文字が俺の頭を支配する…。そんな日です。

なかなかの山奥度合い!

狭い道を進む
車が傷つきそうで怖い

ここに至るまでもなかなかの山道だっただったんですが、そこからまたちょっと伸びた支線を進みます。しっかりと舗装されているものの、草が伸びて車幅いっぱいいっぱいの小道。

謎の石碑
そのうち埋もれてしまいそう

そして生い茂る草に覆われつつありますが、謎の石碑もあります。これはまた後ほど。

広場に立つ観音像
像高10mいかないくらい?

ちょっと進むと広場に出て、こちらにポツンと観音様が立っています。今までいろんな観音様を見てきましたが、ここまで何もない山奥でポツンと置かれている観音様はあんまり見たことないですね。さすがに何もなさすぎる。

台座の内部のカオス

横から観音様
サイド観音

周辺にも特に案内などはない。というわけで像をチェック。ぐるっと回ってみると…。

観音様の背後
ワクワクする瞬間

台座の内部は空洞になっているようです。もしや地下空間でも広がっているのか…?

観音像台座の内部
気味が悪い

うわー!雨水が溜まってて汚い!コウモリもいるし!見た感じ特に何もない空間でした。本来ならここに仏具など奉納するつもりだったのかな?ただの倉庫代わりかな?

西望さんの作品?

観音様の足元
微妙に参拝者の痕跡がある

改めて正面に回って見てみる。

1975西望と刻まれている?
文字を拡大してみると…

文字が刻まれていました。「1975西X」と読めます。Xの部分が読み取れませんでしたが、どうも「西望」と記載されているのではないか、という口コミがありました。

西望とは北村西望さんのことで、長崎県の原爆投下地にある平和祈念像を作成した方です。L字のポーズをしている像で、原爆ドームとともに象徴的存在として教科書等によく掲載されています。

実際に西望さんのサインをいくつか見てみたところ、確かに「望」の字が大きく崩されており、ここで刻まれたものと似通っていました。

吹き出しアイコン

ウサミミ
でも西望さんの場合はもっとガチャガチャに崩して書いてるし、彫り方もなんか普通だから、他の人が刻んだっぽい感じも結構ある。

青空の下の大観音
この像と下の画像の像は別物なんだけど、そっくり!

さらに調べてみると、広島にこの観音像とそっくりな像が設置されていることがわかりました↓

平和 聖観世音菩薩像 北村西望 Avalokiteśvara 広島市中区基町 2018年8月31日

このそっくりな像は1978年に設置されたとのことですが、調べてみると制作自体は1975年とのこと。台座に刻まれた1975と完全一致するので、この謎の観音像は「広島に置かれた像のプロトタイプ」なのかもしれません。

吹き出しアイコン

ウサミミ
観音様の制作方法とか知らないけど、広島のものと大きさも含め見た目ほぼ同じなので、「同じ型から作られたもの」なのかもしれん。

再び謎の石碑
愛山寺と刻まれている

そして入口にあった謎の石碑。こちらよくみると「愛山寺」と書かれていました。これについても、かつて西望さんが「愛山寺」と書かれた掛け軸を残していることがわかりました。フォントもそっくりです。

「愛山寺」の意味が何なのかはわかりませんが、どちらのモニュメントも西望さんに通じているものでした。

再び正面から観音様
本場の西望公園は長崎にあるよ

以上を踏まえた勝手な推測ですが、広島に設置する観音像を作る中で誕生したこのプロトタイプについて、引き取りたいという人が現れたのでしょう。そしてその人はこの地で、もう1つ西望さんが残した「愛山寺」を用いた石碑を置いて、まさに西望公園のような施設を作ろうとしたものの、頓挫してしまった、みたいな感じなのかなと思いました。

オカルトな聖徳太子像

岐阜県のそこそこ山奥に、これまた出自が不明な聖徳太子像が置かれていました。宗教団体が作ったとも言われていますが詳細は不明。そして不明なまま解体され現在では更地となってしまいました。マジでこれなんだったんだ。